
Àdìrẹ – アディレとは、Adi (Tie 結ぶ) Re (Dye 染める)という
ヨルバ語です
アディレはヨルバ族の伝統遺産で、「藍染」から始まりました。
最古のものとして確認されているのは11世紀(日本の平安時代中〜後期)のものとされる帽子でした。
1920年(日本の大正時代)頃に”アディレ”という言葉が定着しました。



生地をつまんだり、縛ったりして模様を描いて染めるのは女性でなんす。
しかし、糸や椰子の繊維で縫い目を作って模様を描くのは男性。機械的な作業は男性が行うのですね。
1960年代には男性のシャツなどにも仕立てられ始めました。藍染だけでなく、様々な色も使われるように。
この頃には世界、特にアメリカでポピュラーになり、ヒッピーのムーブメントに影響を与えます。
アメリカのタイダイが始まりだと思われていますが、オリジナルではなく、アディレから伝わったものなのです。
アディレには結ぶ、縫い目で模様を描いて染める、この他にスターチ(澱粉)で模様を描くAdire eleko (アディレレコ)という手法もあります。



そう!それが混乱のもとだったのです。
スターチで模様を描くならアディレだってバティックと同じじゃないの?
さて大混乱。検索と英語の説明を読む長い旅の始まりでした。
バティックをAdireであると書いている文献もありました。写真を見てもバティック…
混乱する私に、バティックとアディレの達人である師匠が説明してくれました。



アディレレコは植物性のスターチを使うもの。
ワックス(ロウ)を使うのはバティックだよ!
はい!一発爽快で解決です。
では東南アジアのバティックとの違いは何なのか。
ナイジェリアのバティックはそもそも起源がAdireの手法。ヨルバ族が使っていた模様やパターンが多く使われること、そして生地はコットンに限ること(シルクもたまにあるのですが..)。
対してインドネシアやマレーシアのバティックでは、まず描かれる模様がヨルバ族のそれとは全く違います。
生地もコットンのほかに、レーヨンやシルクも使われます。
そのため、ナイジェリアのバティックは『ナイジェリアン バティック』と呼ばれます。



ナイジェリアンバティックでは、ファーストダイと呼ばれる、まずその布に地色をつける時にアディレで染め、その上にバティックで模様を描くこともできます。アディレとバティックのミックスもありなんです!
ここまできたら体験するしかない!ということでやってみました。


ナイジェリアンバティックにはブローケードという生地が使われます。
これは日本の着物にある「真っ白な生地に織り模様がある」そんなコットン100%の柔らかい生地。
まずこの生地が日本で手に入らないのです。インドや中国のブロケードはあるのですが、ポリエステル。
これでは染まらないのです。コットンブロケードを購入しようとすると、ナイジェリアのオンラインストアに行き当たりました。現地で作られる生地で現地の伝統が受け継がれているのです。
ブロケードがないため、薄くて柔らかいコットンの生地を購入しました。
師匠に言われたエジプトワックスも日本にはない。
筆として使用するウレタンフォームだって、薄いのしかないからスポンジにしてみた。
ぜんぜんうまくいかない!!!!
やるしかない…修了証がかかってるんだ…
ベランダにブルーシート敷いて染めて…
部屋にブルーシート敷いて…
テーブルの上にロウが付いてもいいように板を置いて…
ロウはホットプレートに熱湯を用意して、ボウルで湯煎…
外で火つけて大きな鍋で最後にワックスを落とすこともできないから、一番大きな鍋を使って台所で…
あぁ、ここがナイジェリアだったら!
そう思いながらも、完成した布を見てじんわりこみ上げる涙。
なぜナイジェリアンバティックやアディレの布が、アンカラより高いのかがわかりました。
これだけの工程を経て作り上げられるのですから。
量産なんてできないんです。1枚1枚全てが手作業。出来上がりをイメージしながら緻密に作られるのです。
熱いですよね。わかります。
いくらでも語れます。
ワックスは師匠が買って送ってくれることになりました。ウレタンも分厚いのを書いました。
あとひとつ宿題を終わらせます。
今回はこのへんで… 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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